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40代主婦の七転八倒雑記ブログ

「マンガ」。それは私を創っているものの一部

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3000文字チャレンジ、初めて参加します。

この企画を知ったのは最近ですが、次のタイミングでお題が合えば是非とも参加したいと思っていた矢先、お題は「マンガ」でした。

ちょっと震えました。

知った瞬間に目を閉じて、その流れてきたツィートをそっと抱きしめた感じでした。

 

「マンガ」に対して3000文字を書くとき、1300冊ほど所有してたコミックスから何かを絞って述べることは不可能なので、いかに私の人生に関わってきたかを述べる事と致します。

読みもし、描きもした、「マンガ」ですが、同時に少しばかりの覚悟も必要となりました。

それはTwitterのフォロワーさんが激減するだろうと年齢をプロフィールに記載しないできたのですが、これから述べることで全てがバレると言うことです。

亀の歩みのブログも、何とか書き続ける意欲を明確に持ち始めてきたので、そろそろブログ村とやらに登録するのに年代を選んだほうがいいなと言うことに気づき始めてはいたのです。

あら、「誰もそんなこと気にしてないよ笑」と聞こえます。そうですよね、「今更何を笑」って話ですね。失礼しました。安堵して受け入れます。

ブログのサブタイトルにも入れる予定でいたので(年代を)、この3000文字チャレンジをいい機会と捉え、アラなんとかの私はありのままに書いてみようと思います。

 

「マンガ」を、幼い頃から読みあさり、描き綴り、将来の夢は「漫画家」としか答えられない毎日を過ごしてきて早幾年。

「私」という人間を形容するのに必ず他者が用いてきた言葉が「マンガ」でありました。

 

おそらくあの頃は、誰もが入り口は同じだったのではないかと思います。

小学館の「小学一年生」を初めて買ってもらって読み始めたので、初めて買ったコミックスももちろん【ドラえもん】に決まりです。

友達のお姉さんから借りて読んだ「なかよし」に連載されていた【キャンディ・キャンディ】にのめり込むのも時間の問題で、これは母親も夢中になったので、当時小学2年生の私は駅前の書店まで自転車で買いに行かされたものでした。しかも夜に。

キャンディ・キャンディ】を思いっきりパクった自作マンガを同級生の女の子と交換日記風に描いたのが、私のマンガ処女作となります。タイトルは「7月7日、七夕ちゃん」。手元に無いのですが、今一度読んでみたい作品です。

これ以外に描いたマンガは小学生時代に4コマ漫画「〇〇ちゃんマン」(〇〇は私の本名)を大学ノートに16冊ぐらいと、

A4用紙を折って10pぐらいに鉛筆でしたためた少女漫画的なものが数点と、

高校生の時に講談社に送った3作は、カラス口で枠線を引き、ペンを入れ、スクリーントーンを貼り、墨でベタを塗った本格的なものでしたが、評価は賞金なしのBクラス。

この時諦めずに書き続けていればまた何か違った人生になったかもしれないなぁと時折、切なく思います。

本格的な3作は恋愛ものでほのぼのとしてるのですが、鉛筆描きの少女漫画数点は、どの作品も主人公が死んだり、殺したり、死ななくても発狂して入院などと、「心理的な心の闇(病み)」を心配してしまうようなものばかりで今見てもとても笑えます。

 

その後、子供なら普通に歩む王道のように、マンガ雑誌を買い続けていました。

呼吸をするように。

小学生時代は「りぼん」「なかよし」「ちゃお」「ひとみ」の月刊誌、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年ジャンプ」「少年チャンピオン」らの男子系もきちんと読み、それらを卒業すると少しオトナな「別冊マーガレット」「別冊少女フレンド」に移り、成人すると「ヤングジャンプ」「ヤングマガジン」、「mimi」「KISS」等、

いつも何か雑誌を読んでコミックスが出れば普通に買うを繰り返せば、蔵書1300冊にもなりましょう。少ないほうかもしれません。しかも「反芻」タイプなので絶対に捨てませんでした。

それほど日常生活の傍らにいつも「マンガ」の存在がおりました。

 

なかでも「別フレ」は小学校5年生から13年間愛読し続けた雑誌でしたので、当時のマンガ家の作品には強く強く影響されたものでした。高校3年生の終わりごろに安野モヨコ氏のデビュー作をリアルタイムで読んだ時、「この新人は将来有望だな」などと上から目線な感想を持ったのも束の間、彼女はあれよあれよという間に物凄い大先生となってしまいました。

さらに年月が過ぎて、一度捨ててしまったマンガもちらほら出てきたのですが、もう一度読みたくなって買いなおすついでに他のマンガを大人買いをしたりと、さらに蔵書は増えていきました。

どこへ引越ししてもかならず移動させていたので愛着もひとしお。

ずっと衣装ケースで保存していましたが、大人になってからはスライド式の書庫を買って保管できるようになり、休日のリラックスタイムはガラガラと引き出して数冊とり、眠くなるまでひたすら読む・・・これを「最高の時間」「至福の時」と位置付けして過ごしたものでした。

 

作品名をあげるとキリがなく、漫画家名で羅列するのもまた違うような気がしたので、ここは一切割愛します。

おそらく「マンガ愛」が溢れて3000文字では収まらない気がするし、元々いつかは書こうと思っていたネタなので、これをプロローグとし続編を書きたいと思います。

 

そんなコレクション達もだんだんと手にする機会が減り、メルカリの登場でとうとう踏ん切りをつけてしまいました。

マンガはもう本屋で探さなくてもネットで簡単に手に入るので、もう一度読みたくなったら買えばいいというのが理由でした。

ほとんどを売りましたが、どうしても売れない、売る気にならない、手元に残した作品があり、それが「私の真実」であり、「私を創ってきたもの」なのです。

そこから何が見えるのか、この検証は個人的にとても大切で必要な作業であり、

「自分だけに有益」なので、後ほどゆっくりと備忘録として記事にしておきたいと思います。

 

多感な時に読んだマンガは、繰り返し繰り返し何度も読み、「反芻」したと言っていいぐらい、セリフも覚えているものです。

 

里中満智子大和和紀池野恋一条ゆかり、前原滋子、小沢真理、早坂いあん、松本美緒、いくえみ綾、(敬称略ですみません)

この他にももっともっとたくさんの、偉大な作品を生み出した漫画家の諸先生方々、挙げだすと本当にキリがなく、残った数点の数十冊を補完しているケースに手を伸ばし、一晩中読み漁ってしまいそうです。

 

読むにも描くにも、長い間「マンガ」から遠ざかっていた私は、今年ワコムペンタブレットを衝動買いしました。

これは、たぶん、自分にとってはとても衝撃的で有意義な一歩だと思うのです。

この歳になっても「描きたい」気持ちがあったという証拠であり、「もう今更無理だよ」と全く諦めることのない前向きな気持ちの表れなんだと思うのです。

白い原稿用紙はパソコンの画面に変わっても、何かを描いて表現したいんでしょう。

それが何かはわかりませんが、何かを描いて誰かにみてもらいたいと思えるのは、Twitterやブログでアウトプットすることを覚えた事により、また「夢」を持ち始めたからかもしれません。

「夢」の灯が心の奥底でほんのりとついていたので、この3000文字チャレンジを目にしたときに、抱きしめた想いはまさにこれとリンクしたのでしょう。

 

たぶんマンガ家になりたかっただろう従兄のお兄さんは、手塚治虫石ノ森章太郎赤塚不二夫の有名すぎる作品の初版本をたくさんもっていたお兄さんでした。

彼もまた、マンガ家にはなりませんでしたが、私が遊びに行くたびに「ブラックジャック」を読みふけっていたのを見て「夢」を託したのかどうかはわかりませんが、

持っていた雲形定規を私にくれました。

「高かったんだから大事にしろよ」と。

その雲形定規は私を経て、現在マンガ家のアシスタントをしているだろう従妹へ受け継がれていきました。彼女ともずっと連絡を取っていませんが、雲形定規が眠ることなく使われていたらいいなと思います。

使われていなかったとしても、何となく親戚を介して何かが受け継がれた事には間違いなかったよなぁと、今初めて思いました。

色んな思いが交錯したお題、「マンガ」でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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