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40代主婦の七転八倒雑記ブログ

こじらせ電車

 

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ベランダからは果てまでのびる線路が見える。

電車が好きだからと言う理由でこの住処を選んだ訳ではないが、嫌いでもない。「秘境駅」や「ローカル線」と言うワードには軽く興味を惹かれ、実際に乗りに行った路線も多少はあるけど鉄オタとは呼べないレベル。

しかしながら、電車にまつわる音は落ち着く。列車の音、踏切の音…。

落ち着く理由は幼い頃、東京の郊外に住んでいたアパートのすぐ近くを電車が通っていたからだと今気づく。

 

母と二人だけで暮らしていた街で、黄色い電車に揺られて、よく母と出かけた。

西へ一駅行って買物をして帰り、東へ一駅行って母の友達宅へ遊びに行く。

盆や暮れには母の実家へ、つまり自分の祖父・祖母のいた家へ帰省する時にもこの黄色い電車に揺られた。

母が夜に仕事でいなかったので、夕方から私を預かってくれる知り合いの預け先へ向かう時は、仕事先の送迎車で向かうのだったが、踏切でこの黄色い電車に遭遇する。

母を見送った後はこの電車の音が無機質に耳にこびりついていた。

隣の駅まで買い物に出かけた土曜日は、焼き肉を食べて帰り、焼き残りのロース肉を帰り際に1枚だけ口の中に放り込んで、ガムのように咀嚼し続けるのが好きだった。

混雑する黄色い電車の中で見つからないようにひそかに噛んでいるけど必ず見つかり、電車の中で母に睨まれ、降りた途端に頭を殴られる。

駅を降りると、焼き鳥屋の屋台がいい臭いをまき散らしていたりして、母はたまに1本ずつ買って食べさせてくれる。

私はと言うと、食べ終わった焼き鳥の串を、今日はどこの家の玄関に刺そうかと夢中になって探し続ける。そんな私をまたよく怒鳴ったものだから、帰り道はよく泣いていた。

 

黄色い電車に乗った後の帰路は、いつもこんな具合で何かしら怒られたり、叱られたりで

私はいつも、普段一緒に居れない母の注意や関心を、とにかく集める事に必死だったのだと後で気づく。

それはたとえ怒られても怒鳴られても殴られても、こっちを見てくれればそれでいい、

それだけで安心できる、何の疑いも迷いもない純粋無垢な願いだったと後で気づく。

 

そんな頃、宇宙博覧会を見たい従兄二人が母の実家のある田舎からはるばるやってくると言うので、甥っ子二人を上野まで迎えに行かなければならない用事ができた。

もちろん私もついていく。黄色い電車にのって、緑色の電車に乗り換えて。

夏の暑い時期だった。当時の電車にはまだ扇風機が車内の天井についていて、冷房車の頻度は少なかった。

各駅停車は準急や急行との乗り換えの待ち合わせがたびたびある。次の駅で停車し、しばらくすると準急が来て、その電車は冷房車だとアナウンスが入ったのか、準急は冷房車の確率が高かったからそう認識したのかは定かではない。

暑くてたまらなかった母は、準急で涼みたいからと次の駅でおもむろに降りる提案をする。私もそれに従う。

駅で待つと乗っていた電車が走り去り、静かになった。ホームの反対側には違う電車が停車していた。静かなホームでしばし待つ。

そこへ母は、噛んでいたガムの紙を5m位先にあるごみ箱に捨ててくれと私に頼んだ。

なんだか嫌な胸騒ぎがして、私はそれを拒んだ。

いいから捨ててこいと横暴な母。

しぶしぶと、ゴミ箱にまるめたガムの紙を捨てに小走りに向かう私はその短い間に、何故か私がゴミを捨てている間に、一人で電車に乗って向かってしまうという不安がよぎったので、ゴミを捨てて直ぐに猛ダッシュして停車している電車に飛び乗った。

「私を置いていこうなんて、そんなこと許さない」

そう思った瞬間に乗り込んだ電車のドアが無情にも閉まる。

その瞬間、ホームの反対側に、冷房がガンガン効いているだろう窓の開いていない準急が滑り込んできた。

「…アッ!!」

状況を整理しよう。

待っていた準急がもう停まっていたと完全に勘違いしていた。

勘違いした私は今出てきた家の方向に進む電車に飛び乗ってしまった。

母は、甥っ子二人を宇宙博覧会に連れていくために迎えに行く途中で乗り換える電車(準急)が入ってきたのを指さして、こっちを見て爆笑していた。

私はどこへ行くのだろう、宇宙なのか、なに博覧会なのか。

腹を抱えて大爆笑している母は、わが娘を心配して狼狽える様子には微塵にも見えなかった。

冷静に冷房の効いた準急を指さして、「あたしはこれに乗るよ」と言っているようだった。「おまえはおまえの道を行け」と。

…ようだった、と言うのは走り出した電車からはその様子がもう見えなかったからだ。

ガラスが割れるぐらいに顔をくっつけて母の方を見やったが、もう電車は駅を離れて銀河の彼方へ向かって、目だけ光る車掌さんが「次はー惑星アンタレス」と言いながら入ってきてもおかしくない。

 

私は直ぐに次の駅で降りた。そこは「アンタレス」でも「タイタン」でもない、降りた事のない駅だった。

母はもちろんいなかった。いる訳がない。

涙がボタボタ落ちている幼稚園生にも見える発育不良のやせこけた小さな小学生を、大人は直ぐにかくまって駅長室へ連れていってくれた。

 

口も聞けるし住所も言える小学生は特に問題にもならず、駅長さんは家までの切符をくれて、私は一人で黄色い電車に乗ってアパートまで辿り着いた。鍵を持っていないので入れないので玄関前に一人佇んだ。連絡が入った母の友人のおばさんが私を迎えに来てくれた。

さらにその後、従兄二人を連れた母は私をさんざん馬鹿扱いして、あのまま早く迎えに行ければ今頃7つのプールに行けたのにと、追い打ちをかけるように冥王星の彼方へ落ち込ませた。

宇宙博覧会の事はまるで覚えていない。

宇宙博覧会なんか行かなくても、既に宇宙の最果てを知ったからだろうか。

 

「母は娘より甥っ子を選んだ」と言う、どうしようもなく面倒くさい恨みをずっと胸に引きずってこじらせ続けた。

 

「あたしはこれに乗るよ」「おまえはおまえの道を行け」と言っているかのような母は、その後の私の未来を縛るようなことだけは言わなかった。

が、やや放任が過ぎた為、母の関心を集めたい、注意を惹きつけたい私はたびたび母への想いをこじらせてうまく伝えられず、喧嘩に発展して終わる日々を何年も過ごしてきた。

こじらせた想いを「こじらせていた」とはっきりと認識し始めてから、関係がうまくいくようになったと思う。それまでに何十年もかかった。

 

あれから母はすぐに私を連れて実家の田舎に戻った。黄色い電車に二人で乗ることはもうなかった。

二十歳そこそこで私を産み、そして直ぐに離婚して、郊外とはいえ東京での娘一人とのシングルマザーの暮らしは、ずっとこの街で生きていこうと言う考えには辿り着けなかったのだろう。

二人だけで暮らしていたあの街での出来事は、なぜこんなにも色褪せることなくはっきりと記憶に刻まれているのだろう。歳月を過ぎるほど色鮮やかに。

 

色々な電車に乗ったが、この黄色い電車だけが次元を超えて懐かしい記憶の宇宙へと誘ってくれることは解っている。

腰が痛くてもうどこにも出かけたくないと言い張る母は、もう一度二人で黄色い電車に乗りたいと言う私の提案を受け入れてくれるだろうか。今度は突き放すことなく「一緒に乗ろう」と言ってくれるだろうか。

 

 

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