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40代主婦の七転八倒雑記ブログ

弁当

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 「わぁ、美味しそう!お母さんが作ってくれたの?」

「うん」

 

遠足でのお昼の時に繰り広げられる、

当たり前すぎる小学生同士の会話だ。

おやつの時間と共に、お弁当を広げる時間は遠足のお楽しみの時間。

でも、あの子には少々面倒な時間でもあったようだ。

嘘をつかなくちゃならなかったからね。

あの子は、遠足のお弁当を自分で作っていたんだ。

 

最初は、ちゃんとお母さんが作ってくれていたんだよね。

でも、あの子のお母さんは夜働いていて、

酔っ払って帰ってくることもあったから、

お母さん、朝早く起きれなくなっちゃったんだと思う。

そんな時は、あの子のおばあちゃんも一緒に住んでいたから

代わりにおばあちゃんが作ってくれるだろうって

きっと、お母さんも甘えちゃったんだよね。

 

私?私は、このおうちで飼われている、青色のセキセイインコ

名前を「チッチ」と言います。

このおうちの玄関で、あの子や

あの子のおじいちゃん、おばあちゃん、そしておかあさん達の様子を

ずっと見てきました。

私の世話はずっとあの子がしてくれて、

お水やご飯はもちろん、たまに「はこべ」を摘んできてくれて

栄養バランスもちゃんと考えてくれていたんだ。

 

そんな話はさておき、遠足のお弁当、

おばあちゃんが作ってくれてもいいんだけど、

あの子は「お母さんが作ってくれること」にずっとこだわった。

そして、器用だったあの子は

なんとかおにぎり握ったり、卵焼きやウィンナーを焼いたり、

小学校3年生でもちゃんとできていたから、

別にお母さんにせがんで作ってもらわなくても、

どうにかお弁当を持っていく事はできたんだ。

でも、おばあちゃんは分かっていた。

「ばあちゃんが作ってけるから」って言っても

「うん」とは言わないあの子の気持ちを。

だから、半狂乱になって「ママ、お弁当作ってよ」って

泣いてせがむ孫をなだめるよりも、そのママに

「起きてやれ、起きて作ってやらい」と加勢してくれたんだ。

ママはあんまり気にしてなくて、

「もう自分で作れるんだから」と、全く相手にしてくれないの。

あの子が、お弁当を作るのを面倒臭がってると思っていたみたいなんだよね。

そうじゃない、違うんだ。

お弁当のおかずは、おばあちゃんからお金をもらって前の日に

近くのスーパーまで自分で買いに行ったんだよ。

そこまで用意したら、自分で作ってもいいじゃない?

自分で作りたい気、満々みたいじゃない?

でも、違うんだ。

なんでもいいから「お母さんが作ってくれたお弁当」を持って行きたかったんだよね。

お母さんは夕方から仕事に出かけてしまうから、

買い物にまで時間を割けないのを考慮して、

お母さんに作ってもらう為にちゃんと用意までしていたんだ。

結局、ワガママで融通かきかないって解釈されて怒られて

理不尽な想いを抱えながら、泣きながらお弁当を作ることが

時々と言うか、ほとんどだったよね。

 

いつも、うまく言えないし、伝わらない。

「ママが作ってくれたお弁当を持って行きたいんだ」って、

そう、静かに言えれば良かったんだけど

あの子も泣いて騒ぐから、全くママには伝わらないんだよね。

その時の気持ちはあの子には良くわからなかったけれども、

望んでいることと、いつも別な解釈をされて

わかってもらえない、話を聞いてもらえないことに

異常に神経過敏になっていたんだ。

 

そんな想いがあったから、

「お母さんが作ってくれたの?」って聞かれて咄嗟に

「うん」って言っちゃったんだよね。

咄嗟に嘘ついちゃったんだよね。

なんとなく、「お母さんが作ってくれたことにした方が

面倒な事にならないような気がする」っていうのは、

無意識に感じてたんだと思う。

そういう変な気の利かせ方みたいなのは、

一丁前に長けていた子供だったんだよね。

でも今考えると多分「自分で作った」って言った方がヒーローになれたと思うんだ。

自分でお弁当を作れるなんて、その頃誰もいなかったし

「すごーい!」って注目されただろうに、

きっと尊敬の眼差しだったろうに、

いつも飢餓状態で欲しがっていた「承認欲求」ってヤツもも満たされただろうに、

 

あの子は、「お弁当を作ってもらえないなんて可哀相に思われる」としか

考えられなかったんだよね。

だから、無意識的に嘘をついちゃったんだよね。

あの頃の友達、みんないい子達だったじゃない。

「えー、作ってもらえないなんて可哀相!!」とか

そんな風に言う訳ないって、冷静に考えれば分かったはずなんだけど

冷静に考えられる子供っていうのも、

何だか気持ち悪いし、

そんな風に考えられないから「子供」なんだよね。

 

悪い嘘ではないって、こういう事を言うんだみたいに判断して

「自分を守るための嘘」

「相手をがっかりさせない為の嘘」

「必ずしも真実を言う必要はない」

あの子は早い段階からこんな考えに行きついてしまって、

ちょっと面倒臭い子供になっていったような感じがしたんだ。

 

小学校5〜6年生の頃は合奏団や合唱団の練習で、

土曜日の午後はお弁当を持って参加しなくちゃいけない事が続いて、

新しい友達が、「ほか弁を買いに行くからつきあってくれ」って言われたりして

ちょっとあの子はホッとしていた。

「お弁当を作ってもらえない子が自分の他にもいる」ってちょっと

仲間意識みたいなものが芽生えて、初めて自分もずっと嘘をついてきたって

その子には、言えたんだよね。

それからは、その子と毎週土曜日はほか弁を買って教室で食べて

逆にみんなに羨ましがられていたね。

それから少しずつ、人と違う環境や生い立ちの自分って言うものに慣れてきて

カミングアウトするようになったのは良かったんだけど

「生い立ちや境遇に引け目を感じる事はない」って意味を

少々、勘違いしながら中学時代を過ごしてしまったみたい。

激しく道を外れる事はなかったし、

それなりに勉強も頑張ったし、学校におかあさんが呼び出されたりとか

そんなことはなかったけれども、

承認欲求が内側にねじ曲がって育ってしまったようなところがあるなって

その頃はもう私も天国にいて

このおうちの皆の事を心配してやる事もできなくて、

空の上から不安に感じてはいたんだよね。

 

今、あの子はもう大人になって結婚もした。

あの子には今、子供がいないけど

子供がいたら、絶対にお弁当をちゃんと作ってあげただろうとは思う。

凝り性だから、キャラ弁とやらも一生懸命作っただろうとは思う。

でも、「お弁当は作ってもらって当たり前」な、何の罪もない我が子に

変な気持ちを抱くかもしれないと思ったことがあるので、

自分はきっと性格に難アリなので、子供がいなくて良かったと、

複雑な腹落ちの仕方をしているのを

やっぱり、空の上から少し心配したんだけれども、

 

最近は何だか少し、そのこじれまくってほどけない感情を

ちゃんと認めて受け止めて

処理できてる様子なので、私は安心しているんだ。

 

同じように、仕事で忙しいお父さんとお母さんの代わりに

面倒を見てくれたおばあちゃんと暮らしてきた旦那さんと

そんな話をたくさんしながら、今は笑っているようだ。

あの頃は「あんな風にし考えられなかった」と浅はかでひねくれていて

可愛げのない子供だったなって

自虐的に言っているけれど、

同じように旦那さんも自分の事をそう言っていて

それでも一生懸命、その時はそう生きるしかなかったと

ちゃんと受け止めているみたいだ。

 

「お弁当」ってワードを見たり聞いたりすると、

必ずそのことを思い出して懐かしくなるんだけれど、

「あまり思い出したくない暗い過去」とカテゴリ分けしている訳ではなくて

ちゃんと、「馬鹿だな」ってふふって笑える程度には

昇華された思い出になってるみたい。

それは、空の上からも見てとれるし感じることもできるよ。

少し前までは、大袈裟に不幸自慢して

さらにもっと自分を卑下したりするようなところもあったんだけど

「そんな自分も一生懸命生きてきた証」として

どんな些細な暗い思い出も、きちんと思い出して褒めてあげたりすると

不思議とスッキリといい思い出として上書きされるような

そんな気がしているみたいなんだ。

そんな方法を、やっと見つけたみたいなんだ。

良かったねって、チッチは空の上から思っているよ。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました!!

 

 

 

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